龍王山は標高586mで青垣山系では最も高い山となります。
頂上までは1時間30分ほどかかるので、山歩きよりは少し登山と考えておいた方がよさそうです。
龍王山の頂上には龍王山城の南城跡と北城跡と二つの城跡が存在しますが、南城跡は天理市一の絶景で有名です。
登山ルート図でコースの概要を紹介致します。
尚、今回の行程及び写真は2018年5月9日の取材を元に作成しています。
北側ルートは南側ルートよりも距離が短い分、急な登りとなっていますが、多くの方がこちらを利用されます。
個人的には北側ルートが明るくて、南側ルートが暗いイメージをもっています。
それは南側ルートでは奈良県でも有数の群集墳、龍王山古墳群の中を通り過ぎる必要があるからかも知れません。
一度は古墳群をみてみようと思われればもちろん南側ルートで問題ありません。
私は以前龍王山古墳群を見ていますので、今回は北側ルートの往復としました。本当は古墳群が苦手でした・・・。
それでは北側ルートの紹介です。
金剛山、葛城山、から二上山までの山並みの写真です。もちろん右手には生駒山まで一望です。
空気が澄んだ日には二上山の少し右手の山が切れたあたりに、大阪平野から明石海峡大橋まで見えるとか・・・。
この写真の左の部分には箸墓古墳から大和三山もはっきりと確認できます。
南城跡と較べて北城跡は整備状況も、そこからの眺める景色も今イチってところですね。
途中に二つの祠が在ります。この二つの祠はともに龍王社で、龍王山の名前の由来になっています。東西の水源を守っています。
天理トレイルセンターの長岳寺側、そして長岳寺の山門の少し手前にいずれ十市遠忠の歌碑が建っています。
この十市遠忠こそが十市一族を隆盛へと導き龍王山城を築いた人でした。
1536年以降に十市遠忠により拡充された龍王山城は、大和を代表する山城といわれています。
南の城と北の城が互いに呼応しながら一つの城を形成しており『別城一郭の構え』といわれていました。
全盛を極めた十市氏も十市遠忠が1545年に49歳で急死すると、その息子十市遠勝の時代以降、戦国時代の荒波の中で城主も変遷を繰り返し、最後は城主不在の状態から1578年織田信長により廃城させられます。
現在の橿原市には十市町という町名が存在しています。そして現在の橿原の運転免許センターの北あたりに十市城があったことになります。十市遠忠の歌碑は十市県坐神社にも建てられています。
龍王山登山といっても3~4時間では戻ってこれますから、残された時間は山の辺の道のお好みの場所へお出かけ下さい。
この日は、天気も良くなってきたので柿本人麻呂の歌碑の場所と衾田陵まで寄道でした。
山の辺の道のこのあたりも、なかなか素敵なウォーキングコースでした。
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