『やっぱり二上山!!』。このタイトルは私の二上山に対する深い思い入れにあります。
ちょうど十数年前、なら・まほろばの各地を歩くきっかけを与えてくれたのが二上山でした。
そして富士山登山にチャレンジする前に、足腰の鍛錬に何回も二上山に登ったことを懐かしく思い出しています。
そんな私のお庭のようなお山の二上山。こられたら、思いっきり楽しんでいって下さい。
二上山に登るにはさまざまなルートが存在します。皆様が良く歩かれる代表コースを三つ紹介しています。
二上山駅や二上神社口駅から雄岳を目指す尾根筋を登るコースです。
尾根筋を登りますから、長い距離を淡々と歩くことになります。
道の駅ふたかみパーク當麻に車を止められる方もよく利用されています。
二上山登山では一番人気があるコースで谷筋を歩きます。
当麻寺駅や道の駅から祐泉寺に向かって歩きます。祐泉寺の手前で二つのコースに分かれることになります。
馬の背のコースは中盤からは一気の登りになるので、普段歩くことが少ないと結構きついかも知れません。
岩屋峠のコースはかなりまわり込みますから、その分一気の登りは少なくなります。私的には一番楽なコースと思っています。
大阪方面からのメインルートで万葉の森駐車場利用の方が大半です。
黒点線は車の通れる楽な登り道で多くの方がこの道を歩かれます。
赤点線が岩場も体験できる変化に飛んだコースです。実はこのコースが私の一押しのコースです。
図の①→②→③→④→①と一周するのに私の足ですと50分ぐらいです。
といううことは岩屋峠から一時間足らずの寄道でプチロッククライミングや鹿谷寺の不思議な石塔を見ることができます。
せっかく、二上山にこられたら是非体験していって下さい。
大津皇子ゆかりの地は明日香以外にこの二上山周辺にもたくさん存在しています。
ここでは二上山周辺の大津皇子ゆかりの場所を紹介しています。
1.加守廃寺 最初に大津皇子が埋葬された場所との伝承があります。
2.大津皇子の墓 雄岳頂上近くにあり、現在、大津皇子の墓として宮内庁が管理しています。
3.鳥谷口古墳 大津皇子が改葬されたところではという説が有力です。
4.石切場跡 鳥谷口古墳が真陵とすれば、その鳥谷口古墳に使われた石材の産出場所となります。
5.万葉歌碑1 大津皇子の姉にあたる大伯皇女の歌です。
6.万葉歌碑2 大津皇子の歌です。
①の加守廃寺跡への歩き方は詳細地図で確認下さい。
それでは、二上山周辺に大津皇子ゆかりの地が多く存在するのは何故でしょうか?少し考えてみました。
尚、加守廃寺の詳細は『橿原古寺探訪:葛城市歴史博物館発行』をご覧下さい。
少し古い書籍ですが、奥田尚さんの『石の考古学』の中では
①鳥谷口古墳の石槨(せっかく)には少なくとも四個、石の棺の蓋(ふた)が使用されている。
②この石材は二上山の雄岳と雌岳の鞍部(※馬の背のことでしょうね)に通じている登山道に設けられた水呑み場付近に分布している岩相の一部に似ている
③これらは岩屋峠から雌岳に広く分布しており、古墳が造られた頃に放置されていた石棺の蓋ではないか
こんな記載がありました。どうやら岩屋峠周辺の石切場のどこかに放置されていた石棺の蓋のようです。
私は広く屯鶴峯や鹿谷寺も考えていましたが、鳥谷口古墳からの登山道あたりにあったのかも知れませんね。
鶴が屯(たむろ)する姿に似ているところから名付けられた屯鶴峰。
入口から100mほど離れたところですが5台ほど停めれる駐車場が整備され、お手洗いも完備しています。
香芝市内から向かえば屯鶴峰入口の手前左側(近鉄線路より)です。
屯鶴峯がもう少し駅から近ければよかったのですが・・・。
現在の二上山頂上大津皇子墓選定の元になった大伯皇女の歌の一つです。いろんな歌が残されています。
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